フランス人の道のテロワール
カスティーリャ・イ・レオン州とガリシア州をワインを求めて何度も往復しているうちに、数あるサンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路のなかでも最もポピュラーな「フランス人の道」をせっせと通過していたことがあります。地続きながら、まったく異なる気候風土を持つこの二つの州。荒涼としたメセタの高地、カスティーリャ・イ・レオン州にはスペイン屈指の銘醸地リベラ・デル・ドゥエロがあり、パワフルな果実味と凝縮感のある最高級の赤ワインをうみ出しています。ベガ・シシリア、ピングス、ペスケラ、アアルト、アタウタ・・・、憧れのオールスターたちが一堂に会するエリア。ここからさらに西へ、ガリシア州に近づくにつれて景色は少しづつ緑の様相を呈し、ワインも繊細で洗練されたスタイルへと変化していきます。ガリシアの美食も待っています。
スペインのワイン産地ほど、テロワールの違いをはっきりと体感できるところはありません。車窓の風景が変わりゆく様はまるで異世界へのプレリュード。そこにはきまって玄関口となる田舎町があり、巡礼の北ルートにあたるスペイン北部にも、何気ない小道に歴史遺産が溢れています。先を急ぐ旅でなければ、このような中継地で一息入れるのもおすすめです。
ビエルソの横顔
カスティーリャ・イ・レオン州の西端にあるコマルカ、エル・ビエルソと聞けば、ワインラバーにとっては真っ先にリカルド・パラシオスの名とともに思い起こされるワイン産地、ビエルソです。シル川の上流域一帯を含む四方を山に囲まれた地形から、歴史的に隔離された生活が営まれてきました。二千年を超えるワイン造りの歴史がありながらも、ブドウ畑の総面積はわずか2,900ヘクタール弱。70軒あるワイナリーのほとんどが地産地消ですが、山岳のブドウ畑には樹齢100年を超える古木も多く残されており、苦労を顧みなければ醸造家にとって憧れの産地であるのは疑いようがありません。
エル・ビエルソのもうひとつの顔、サンティアゴ巡礼の「フランス人の道」を振り返ってみましょう。人口3500人の小さな歴史町、ビジャフランカ・デル・ビエルソには、千年にわたり巡礼者を慰めてきた重要な遺構があります。
イエス・キリストの十二使徒のひとり、聖ヤコブの墓が、イスラム勢力からのレコンキスタ(領土回復運動)の只中にサンティアゴ・デ・コンポステーラで見つかったのは9世紀のこと。この発見はキリスト教徒の精神的な支えとなり、中世を通して多くの巡礼者を集めることになりました。「フランス人の道」はカリクストゥス写本(12世紀に編纂されたサンティアゴ巡礼のガイドブックのようなもの)にも詳細に記録され、9世紀から現存するルートとしてユネスコ世界遺産にも登録されています。
許しの門、プエルタ・デル・ペルドン
旅に危険はつきもので、道中の安全もままならなかった中世の時代、フランスからピレネー山脈を越え、スペインの古都レオンを経ていくつもの峠を踏破するフランス人の道は、夏でも寒く、病気や怪我で命を落とす巡礼者も多かったと言います。何とかビジャフランカ・デル・ビエルソまでたどり着いても、その先に待ち受けるのはフランス人の道最後の難所、セブレイロ峠。ビジャフランカで力尽き、巡礼を断念せざるを得ないこともありました。そんな中世の巡礼者の救いになったのが、サンティアゴ教会にある「許しの門」です。たとえサンティアゴ・デ・コンポステーラにたどり着けなくてもこの門の前で祈ると巡礼を終えたと認められ、罪が許されると信じられていました。聖年またはシャコベオ年にはこの門が開きます。2021年がその年で、その次は2027年です。
美味しい食事とワイン。ラ・プエルタ・デル・ペルドンに泊まる
巡礼者が一休みするように、ワインの旅もここで一息入れないと力尽きてしまいそうに過酷なカスティーリャとガリシアの山岳往復ルート。ビジャフランカ・デル・ビエルソの小さなホテル、ラ・プエルタ・デル・ペルドン/La Puerta del Perdonには、心地よい7つの部屋と美味しい料理、そしてワインが待っています。許しの門の名を冠しているだけあって、門のあるサンティアゴ教会はすぐ近くというロケーション。
◆フランス人の道:930km、約32日間(一日の工程25km±5km)
◆ラ・プエルタ・デル・ペルドン:2名/EUR65
巡礼の中継地ビジャフランカでは、他にもアルベルゲからホテルまで、予算や好みに応じて様々な宿泊施設が選べます。たとえば17世紀にイエズス会の学校として建設されたバロック様式の修道院はいかがでしょうか。簡素な共同部屋からバスルーム付きの部屋まであり、レストランも備えています。
◆サン・ニコラス・レアル/St. Nicolas el Real Inn : EUR30〜